霊性と情熱のあいだぐらい

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zoom RSS 不幸の原因

<<   作成日時 : 2008/02/27 20:55   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 11

もし、この世に神様のような存在がいるとしたら、なぜ不幸な人がいるのでしょう?
神様は「すべての人を幸せにしたい」と願っているはず。
なのになぜ不幸な人がいるの?
柳○里のように「不幸だ、不幸だ」とヒステリックに喚き散らすアホタレが存在するのはなぜ?
先日の柳美○の幼児虐待騒動からずっと心に引っかかっていました。
人間は誰しも幸せになりたいと願っているし、神(仏・守護霊・天使・潜在意識などなど)も人間を幸せにしたいと思っている。間違いなく。
しかし、○美里は、自分の不幸自慢をしたり、プライベートをブログに晒したり、中絶を繰り返したり、友人を裏切ってネタにしたり・・・・わざわざ自分が不幸になるような行為を敢えて続けています。
その理由が分からなかった。
でも、セラピストの石井裕之さんの講演CDを聞いて「なるほど」と納得しました。

「今までたくさんの人の相談を受けて、不幸な人には絶対的な共通点があることに気がつきました。一つの例外もなく。それは、不幸は人は誰かを憎んでいるんです。意識しているとかいないに関わらず、誰かを憎んでいる人は絶対に幸せになれない。そういう力が働くんです。」


これにはキチンとした理由がある。
誰かを憎んでいる人が権力を持った場合、その他人に危害を加えようとしますよね?
または、社会を憎んでいて「みんな死ねばいい」とか考えている人が権力を持ったら?コワイですよね?
だから、すべての人の幸せを願う神は、そういう人物が力を持たないように不幸な厳しい状態に追い込みます。
社会から叩かれるように、差別されるように・・・・。

柳○里も、作品を読む限り、身内や友人を憎んでいるようです。だから潜在意識は彼女を不幸で、差別されて、まわりから警戒されるように追い込みます。彼女自身は、なぜ自分がプライベートな部分をわざわざブログで晒しているのか理解できないでしょう。なぜ子供への虐待を、黙ってればいいのに、公の場で告白してしまったのかも分からないでしょう。自分の意思ではなく、見えない力が彼女にそうさせているのです。

ブログで不幸自慢をしている人をよく見かけますが(特に女性)、その人達のブログを丹念に読むと、確かにその人達も誰かを憎んでいることが分かります。
別れた恋人だったり、父親だったり、会社の上司だったり・・・・・。
不幸の原因はその「憎い奴ら」にあるのではなく、その人達を憎んでいる「自分の心」であることに彼らは気づいていません。というより、決して認めないでしょう。

神は、他人の不幸を望んでいる人間を幸せにはしない。
これは絶対法則です。
すべての人間がつながれている集合的無意識領域において、他人を憎むことは自分を憎むことと同義だということを知らなければなりません。

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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
神がすべての人を幸せにしたいと望んでいるというのは、
まやかしであるような気がします。
幸せなんて、主観的な問題でしょ。
そんな問題に立ち入るとはとうてい思えません。

最近、拝見させていただいて良く思うんですが、
議論が強引過ぎることがままある気がします。
例えば、私がこのブログをさらりと読んだときに、
不幸なのはその人自身のせいだ、と言っているとしか思えません。
紛争地域に生まれてきたのもその人のせい、自分がそう望んだから、とか
そんなことを言われてしまうと、救いようがありません。
極論を言ってしまえば、自分で好きでそこに生まれついたんだから
勝手にして、ってことになってしまうような気がします。
また、憎むな、というのは横柄な気がします。諦観なんて、悟った人では
ないとできませんよね。
私の友人で紛争地域に生まれ、目の前で親しい人を亡くした人がいます。
そんな友人に「敵を憎むな」とはとてもじゃないけど言えません。
友人自体、そのことでもがき苦しんでいます。

JZ
2008/02/29 05:20
(字数制限に引っかかってしまいました。
続き、こちらで失礼いたします。)

言いたいとこが良くまとまりませんが、
輪廻転生とか言われたって、私が過去に何をしたか、とか
私が過去に何を望んだか、なんて私の知ったこっちゃありません。
今を生きてるんだから、過去のことなんて関係ありません。
そんな理論だったら、不幸な人とか、紛争地域に生まれついた人とか、
そんな人たちはすべて「過去に悪いことしたからでしょ!自業自得でしょ」
ってそんな議論になってしまいませんか?







JZ
2008/02/29 05:21
こんにちは、JZさん。
確かに仏教思想は厳しいです。古代の仏典などには「すべての責任は自分自身にある」とさえ書かれています。
でも、これは同時に「運命は自分の想いと行いによって創ることができる」ということでもあるんです。自分が環境の犠牲者ではなく、その環境を自分で創れるというのは素敵だと思いませんか?
>「過去に悪いことをしたからでしょ!」
これはちょっと違います。仏の世界に「いい・悪い」の区別はありません。運命の世界において絶対悪は自殺ぐらいなものです。
そうではなくて、「自分が発したものが自分に返る」だけのことです。例えば、誰かを愛して、その人にフラれたとしても、別の人から同じように愛されていたりします。自分が発したものはどのようなものであれ、自分に返ります。
字数制限があるのでいったん切りますね。
スイレン
2008/02/29 18:42
それから「憎むな」に関してですが、もし誰かを憎んでいて、イライラしたり、血圧が上がったり、怒りで仕事も手につかないような状態だったら、その「敵」は小躍りして喜ぶのではないでしょうか?
憎むことは相手を利する行為でもあるんです。
憎めば憎むほど、相手は喜びます。悔しいですよね?
「許す」ことは難しいし、ほとんどの場合不可能です。
でも、「憎むのをやめる」ことは努力すればできますし、自分自身の心の平安のためにも重要です。

「神」に関してですが、これは説明がしにくい問題です。
でも、スピリチュアルの世界においては「神は自分自身」でもあるのです。
仏教では「梵我一如」と言います。
私たちが幸せになりたいと望んでいるなら神も当然望んでいます。
それでは、また。
スイレン
2008/02/29 18:51
はじめまして。新参です。
2つ質問。

ご存知だとは思いますが仏教において「神」は存在しません。
では、あなたのいう「神」とはなんですか?
その「神」はなぜ仏教思想で語れるのですか?
それは仏教思想で語れるものであり、語るべきものですか?

2.「「神は自分自身」でもあるのです。」とありますが、ならば
人を憎むこともまた「神」の行為ですよね。仮に「権力を持つこと」が
「神」の想定した幸せだとしたら、憎むことにより「権力を望む悪人に権力を与えないこと」は「神」の希望と矛盾しますが、どうお考えですか?
NE
2008/03/02 02:22
はじめまして、NEさん。
おっしゃるとおり仏教に神はおりません。
が、神に相当するものとして「仏性(ぶっしょう)」があります。神というと人格神を想像しがちだとは思いますが、「法則」「真理」「実相」などを表す便宜的な言葉だと考えています。
釈迦とイエス・キリストが悟りに至るまでの道は驚くほど似ています。極端な断食、マーラー(サタン)の誘惑・・・・。私は二人が感じた「真理」は同じものだと思います。
その土地の文化、歴史などによって、表現方法が違うだけで、二人が伝えたかったものは同じだと考えています。
わざわざ仏教だ、キリスト教だ、イスラム教だと分けて考えて世界を狭くする必要はないと思いますよ。
字数制限の都合で、2の質問は次に。
スイレン
2008/03/02 10:56
2番の質問ですが、「他人」と「自分」を別々のものだと考えているのではないでしょうか?
実相の世界(集合的無意識領域)において、自分と他人の明確な区別はありません。すべての人の意識が連結されている世界です。私たちはこの世界に生きながら、その実相の世界とも繋がっています。
つまり、他人を憎む行為は自分を憎む行為と同じこととなります。
すべての人が幸せと魂の成長を望むように生まれついている以上、「他人を害してやろう」と考えるのは自分自身を傷つけるのと同じことです。
だから、誰かを憎もうとすると潜在意識がブレーキをかけて、その憎しみを実行に移せないようにその人を追い込むのです。つまりそれは「自分自身を守るため」であり、「自分自身の幸せを保つため」であるのです。
よって人を憎む行為は神の行為とは成り得ないんです。
他人を憎む人が辛い人生を送っていることそのものが「神がその人を守ろうとしている」何よりの証です。
スイレン
2008/03/02 11:11
スイレンさん

最新の記事を読んだ上で再びコメントします。
失礼ながら、私の質問に対して少々的外れなご返答を頂いたように思います。

まず1つめの回答です。私の意図としては、別に各宗教ごとにたどり着いた「真理」とやらが同じであろうと違おうとどうでもいいのです。
「あなたの神」はどのようなものなのか(これはとらえかたの一部を理解できたように思います)、それは仏教で語るべきものなのか、また仏教思想でかたるべきものなのか、ということをお聞きしたかったのですが。
つまり「ベースに仏教思想という文法をもってくる根拠はなにか」ということです。
NE
2008/03/02 22:02
文字数制限により分割。

次に2つめの回答についてです。「誰かを憎もうとすると潜在意識がブレーキをかけて、その憎しみを実行に移せないようにその人を追い込む」とありますが、石井裕之さんの講演CDとやらに「不幸な人は誰かを憎んでいるんです」とあったとご自身が書かれていますよね。「憎しみを実行する」=「憎む」ではないのですか?
それと、人を憎むことが「神」の行為になりえないという考え方は理解できました。その上で、「仮に「権力を持つこと」が「神」の想定した幸せだとしたら、憎むことにより「権力を望む悪人に権力を与えないこと」は「神」の希望と矛盾する」という点についての説明をお願いしたいです。これは「人を憎むことが〜」とは干渉しないはずですので。
NE
2008/03/02 22:02
こんばんは、NEさん。
少々、回答するのに疲れてきましたが、ベースに仏教思想を持っているのは私が仏教徒だからですが、それほどおかしなことでしょうか?
>仮に「権力を持つこと」が「神」の想定した幸せだとしたら
この前提が今ひとつ意味がわからないのです。前回、コメントを返す前に、何人かの人から意見を聞きましたが2の質問に関しては「あの部分は意味が分からない」とのことでした。私もそうです。
で、おそらくこういうことを聞きたいのだろうな、と予測しながら書いたのですが、どうやら的外れだったようです。スミマセン。
残念ですが、NEさんを満足させるような回答は思いつきません。
私は、現在幸せなので「こういう考え方で生きてたら幸せに過ごせています」というのをブログに書いているに過ぎません。これが誰かの役に立つかどうかは分かりません。あなたはあなたの信じる道で幸せになってください。
スイレン
2008/03/02 23:05
はじめして 横から失礼します。

はっきり 申し上げますと。。。
論理的ではないし、言ってることがめちゃくちゃ過ぎます。

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2009/07/03 20:33

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