千年王国

私が農業に熱中している間に、世界中で「コロナウイルスパニック」が起きているようですね。
こういう社会不安が拡大している時こそ、私のような「占星術師」が積極的に活躍するべきタイミングなのですし、実際、ノストラダムスが活動していた時代も「ペストの蔓延」「カトリックとプロテスタントの対立」などでヨーロッパ全土が混乱していた時期に当たります。

ご存知の方もいるでしょうが、現在世界では、この「コロナウイルスの蔓延」以外にも、東アフリカからパキスタン、中国にかけて「バッタの大量発生と大移動」が起きて進路上の国の農作物の被害が深刻ですし、中国から東南アジアにかけて流れる世界有数の大河「メコン川」が濁ったり干上がるという現象が起きており、2020年は世界的な食糧危機の発生も懸念されています。
経済面においては現在「世界同時株安」が発生しており、まさに世界は今、第二次世界大戦以来の混乱の最中にあると言っていいでしょう。

感染者数の多いイタリアでは「ハグやキスの禁止」などという法令も出ており、人々は隣人が「感染者ではないのか?」という疑心暗鬼の中で、不安な毎日を過ごしています。

ヒトラーのような怪物を生んだ原因は1929年の「世界恐慌」でしたから、今回も混乱に乗じて権力を掌握しようとする人間が出ないとも限りません。

宗教に詳しい人なら、今回の混乱を旧約聖書に出てくる「十の災厄」と結び付けて考える人も出てくるはずです。

「十の災厄」とは、旧約聖書の「出エジプト記」に出てくるエピソードで、数年前に「エクソダス」という映画の題材にもなりましたから知っている人も多いかもしれませんね。

大まかに説明すると、「ヘブライ(ユダヤ)人を約束の地カナンへと導け」という神の啓示を受けたモーゼがエジプトのファラオに「ヘブライ人の奴隷を全員無条件で解放せよ」と決断を迫ったのですが、エジプト経済はユダヤ人奴隷によって支えられていますから、当然ファラオはそれを拒否。
そんなファラオに対して「怒れる神」は、エジプト全土に「10種類の自然災害」を下します。

その中には「疫病の蔓延」「イナゴの大発生」「ナイル川が血の色に染まる」なども含まれているんですね。メコン川の汚濁が「ナイルが血に染まる現象」と関連付けられれば、「十の災厄のうちの3つまでがすでに実現した」と誰かが騒ぎ始めても不思議ではありません。特に「ムー」の読者とかですね(笑)。

ファラオは度重なる災害に耐えかねてヘブライ人を解放しますが、ここからモーゼの苦難の旅が始まる・・・というのが「出エジプト記」の内容です。

キリスト教徒の中には、今回のコロナウイルスをこの旧約聖書のエクソダスや、世界の終末を予告する「黙示録」とつなげて、いたずらに不安感を煽ろうとする人もいるのです。特に、キリスト教系の新興宗教にはその傾向が強いようですが、そういう「デマ」に耳を傾けてはいけません。人類の歴史の中で伝染病は繰り返し発生していますし、それを「神の怒り」と吹聴するのはやはりカルト的な団体です。

それでは今回は、キリスト教の伝統である「終末論」について簡単にご説明しましょう。

キリスト教が抱える終末思想とは「世界の終わりにすべての人間が神の前で最後の審判を受ける」というものだけではありません。むしろ、新約聖書の「黙示録」に説かれている「至福千年説」とセットになっているものであり、そちらのほうがメインだと言ってもいいかもしれません。

「至福千年」とは、この世界の歴史が終わる前に、アダムとイブの失楽園以来失われていた「地上の楽園」がこの世に再現され、全ての聖人や殉教者(キリスト教徒限定)が復活し、その「平和で幸福な世界」が地上で千年続くというような思想です。そしてその地上の楽園の成立から千年後に世界は崩壊し、そこで神による「最後の審判」が決行され、ここで天国と地獄に行く人が振り分けられます。
つまり、「最悪の不幸」の前には「幸福な時代がある」という思想なんですね。

この「ヨハネの黙示録」が書かれたのは紀元90年ごろのことですが、この頃は初期キリスト教信者が激しい弾圧を受けていた時代なので、「殉教しても復活して地上の楽園で千年暮らせる」というような現実逃避的な思想は、信者達の信仰心をつなぎとめておくために非常に有効な手段になったわけです。つまり「方便」です。

ところが教会が「地上の楽園はもうすぐ来る」と繰り返し説いているのに、何百年待っても「楽園」は来ません。当然のことながら「その話は本当だろうか?」と疑問に思う信者も現れて来ますよね?
そんな信者を押さえ込むために、カトリック教会は何度も何度も「世界の終わりの日」の予言をそれとなく流して、信者の信仰心を保とうとしていたのです。

その中でも一番有名なのは「約束の日は1260年である」と設定した事件です。これはシトー修道会のヨアキム・ド・フロリスという修道士が聖書の暗号を解読した結果だ・・・ということで、かなりの説得力があり、ローマ法王もこの説を公式に支持していました。それがフロリスの死後数十年以上にも渡って教会の公式な見解になっていたほどなのです。

ところが、実際の1260年が近づくにつれて、カトリック教会も不安になってきました。「もし予言が外れたら、大恥をかいて信者からの信頼を失うのではないか・・」と。
そこでカトリック教会は前年の1259年になってフロリスの説を全面的に否定し、その教えを広めることを禁止しました。「フロリスの説に対して、教会は一切の責任は負わない」というわけです。
もちろん、1260年に世界は滅びませんでしたから、教会もほっと胸をなでおろしたことでしょう。責任回避成功です。

しかし、予言が外れてしまったことで、教会は再び「新たな予言」を必要とするようになったんですね。
そこで、非公式ながら「地上の楽園が実現する日」を噂のような形で何度も流し、「楽園に暮らすためには教会に帰依しなければならない」として信者を縛り続けてきたのです。

そんなこんなでキリスト教徒は「千年王国」が実現する日をもう二千年近くも待っているのだから、まぁ、気長な話です(苦笑)。待ってる時間の方が長くなっているのですから、ある意味ではコメディですね。

この千年王国思想の問題点は、「今の人生を精一杯生きる」というローマ帝国時代から続く現実主義思想を否定し、いつ来るかも分からないような「楽園」を永遠に待ち続けるという現実逃避主義に陥りやすいことでしょう。今の不幸な現実を自力で変えようともせず、「楽園に行ってから幸せになればいいや」というような投げやりな考え方を生む危険もはらんでいるのですね。

もちろん、現代のキリスト教徒でこの「千年王国の到来」を本気で信じている人は少ないでしょうが、19世紀頃から再び「楽園思想ブーム」が再燃し、プロテスタント系列から「エホバの証人」「モルモン教」「アドヴェンティスト」などの新興宗教が次々と生まれ「楽園の到来」を声高に叫ぶようになってきたのです。

エホバもモルモン教徒も、個人個人は善良な人ばかりですが、どうにもあの「自分達は特別」というような選民思想的な部分が受け入れがたく、あれが世間一般の人から嫌われる理由にもなっていると思われます。
神が、その被造物である人間を「選別」すること自体が大きな矛盾なのですが、「自分達だけ楽園に行きたい」と思っている人達にはその辺まで頭が回らないのかもしれません。

現在のコロナパニックは、このような「現実逃避主義者」達にとっては心躍る事件にもなり得ます。現実社会が揺さぶられ、時の権力者が投資家達が「粛清」されていく姿は、まさに黙示録に説かれているような「楽園到来の前兆現象」に見えるからですね。
実際、ネットではノストラダムスの詩を持ち出して、「これは予言されていた事件だ」などと騒ぐ輩もいますし、宗教団体の勧誘も一部で活発化しているように見受けられます。

不安感が高まっているかもしれませんが、とにかく冷静に行動してください。無意味な買いだめや、新興宗教への逃避などは「問題が悪化するだけ」であることをよく自覚しておく必要があります。

現在のデータでは、コロナウイルス感染者の「80パーセントは軽症」であることを考慮し、必要以上に恐れることがないように、穏やかな日常生活を送ってくださいね。


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この記事へのコメント

ゆき
2020年03月09日 17:35
スイレンさん、こんにちは。

「まもなく」終わりが来ます、って何十年も言われてきて、サタンの体制が終わりそうな兆候にみなさん期待されているでしょうね。

全員ではないでしょうが、楽園説は、アドラーのいう劣等感コンプレックスが強い人がはまってしまう気がします。楽園でやり直す!って私も思いそうになりますもん。
また、選ばれて楽園に行ける、真実を知っている唯一の組織という優越感コンプレックスにもなっているのではと思います。

善い人が多いのは本当なのですけどね。
スイレン
2020年03月09日 19:48
こんにちは、ゆきさん。

そもそも「サタンは神の敵」というのが新興宗教の人の思い違いなんですね。
実は、古代においてヤーヴェ(エホバ)は、善と悪の両方の性質を持つ神だったのです。

時代と共に宗教学者によって「善」の部分のみが強調されるようになり、もう片方の性格を担当する「サタン」という存在が考えられたわけです。
要するに、「エホバとサタンはもともと一心同体」なのです。
善と悪の両方を兼ね備えるからこそ「絶対者」であり、サタンを「悪者」と決め付ける程度の薄っぺらい宗教では、すべての人間を救えません。

だから旧約聖書においてサタン(ルシファー)は、「神が最も信頼する最高位の天使」として描かれているのです。

エデンの園において、サタンは人間を愛するがゆえにアダムとイブに「知恵の実」を与え、その罪により大天使ミカエルに討伐されました。

知恵に実を食べたことにより、人間は永遠の命を失いましたが、その代償に「愛」「知恵」「感情」を手に入れたのです。
さて、サタンとミカエルのどちらが「人間にとって優しい存在」だったのでしょうか?

何も知らない「バカ」のままで永遠に楽園にいたほうがいいのか、苦しみながらも「人を愛する」ことが良いのか・・・ここは議論の分かれるところでしょう。

私はこういう深い思索を持たない宗教は「幼稚」だと思っています。

エホバの証人やモルモン教の人は、確かに善良ですが、はっきり言って「幼稚」です。
彼らの考えが世界のスタンダードとして受け入れられることは今後も絶対にありませんし、一部の現実逃避主義者の間で細々と運営されていくものだと思いますよ。