信じるべきものは
仕事が忙しくなってきたので更新するのが大変です。
ま、100年に一度の大不況の中、忙しいのはありがたいことか。
さて・・・・ワシは仏教徒ですが、特定の宗派には属しておりません。
人から「どの宗派がいいですか?」と聞かれることがたびたびあるんですが、占星学に興味のある人だったら「真言宗(密教)なんていいんじゃないですか?」と答えるし、仏教の知識のあまりない人には「浄土真宗なんて解りやすくていいですよ」と勧める。瞑想に興味のある人には、臨済宗や曹洞宗を勧めるし、社会奉仕に興味のある人ならキリスト教もいいかもしれない。
別に宗教に興味がなければ無宗教でもかまわないと思う。
ワシらが信じるべきは真理であって、特定の宗教の教義なんかではないのだから。
神仏は特定の宗教や宗派をえこひいきしたりはしない。
どの宗派の人にも、無宗教の人にも、神仏は平等に接する。
なのに、いつの頃からか、人は真理ではなく、宗教に従うようになってしまった。
かつてガリレオが地動説を唱えたとき、教会は彼を裁判にかけ、考えを改め謝罪せよ、と要求した。これを拒めば命すら危険だった。心から神を信じ、愛しているはずの司祭たちが、ガリレオを前に
「謝れよ、コノヤロー、牢にぶち込むぞテメェ」なんてヤンキーまがいの行為に及んだのだ。
司祭たちが、教会の教義ではなく真理に心を開いていれば、このような恥知らずな行為は行わなかっただろう。
日本の仏教の開祖たちは、それぞれ個性的で、魅力的な人たちだ。
ところが日蓮は「真理を知るのは私ただ一人。それ以外はすべて邪教」と切り捨てた。
しかし、彼の教えが正しいかどうかは他との比較によって明らかになるはず。しかし、創○学会をはじめとする日蓮宗系の団体では、他宗派の教えを学ぶことはできない。これでは、魂の成長は確実に遅くなってしまう。
真理を知るために信仰の世界に入ったと言うのに、結果として真理から最も離れてしまうと言うのは皮肉な話ではないか?
日蓮がどれほど優秀な人であったとしても、仏が日蓮ただ一人に世界のすべてを背負わせるはずはない。仏はそこまで無謀ではないし、争いの火種をばら撒くようなアホであるはずもない。
この点に関して、ワシが敬愛するダライ・ラマ14世はこんなことを言っている。
「幸せになれる力はすべての人間が生まれながらに持っています。これは仏教を信じているかどうかとは関係がありません。幸せは、信仰を持っていようが、無宗教であろうが関係なく、すべての人が持っている権利なのです」
チベット仏教の最高指導者が「仏教を信じなくていい」というのは衝撃発言だが、これは正しい考え方だと思う。
彼が従うのは真理であって、チベット仏教教団ではないのだろう。
もし、「この宗派だけが正しい」とか「この教団に入れば絶対に幸せになれる」などという団体があれば、それは確実にインチキである。
彼らは無宗教の人間や、他宗派の人が、幸せな一生を送り、偉大な業績を成し遂げていることをどのように説明するつもりだろうか?その「唯一正しい宗教」を信じなかったのに?
何度も言うが、神仏はある特定の宗派に肩入れはしない。
すべての人間に対して平等に、法則をもって接する。
もしあなたが、特定の教祖や宗教に心酔して、それ以外の意見を聞かなくなったとしたら、あなたの魂は死んだも同然だ。成長が止まり、他者を害するだけの存在。そして神は、その「カルマ」に従って、その人を正確に不幸にしてくれる。そこには情状酌量も、ひいきも、不正もない。美しいまでの平等がそこにはある。
ま、100年に一度の大不況の中、忙しいのはありがたいことか。
さて・・・・ワシは仏教徒ですが、特定の宗派には属しておりません。
人から「どの宗派がいいですか?」と聞かれることがたびたびあるんですが、占星学に興味のある人だったら「真言宗(密教)なんていいんじゃないですか?」と答えるし、仏教の知識のあまりない人には「浄土真宗なんて解りやすくていいですよ」と勧める。瞑想に興味のある人には、臨済宗や曹洞宗を勧めるし、社会奉仕に興味のある人ならキリスト教もいいかもしれない。
別に宗教に興味がなければ無宗教でもかまわないと思う。
ワシらが信じるべきは真理であって、特定の宗教の教義なんかではないのだから。
神仏は特定の宗教や宗派をえこひいきしたりはしない。
どの宗派の人にも、無宗教の人にも、神仏は平等に接する。
なのに、いつの頃からか、人は真理ではなく、宗教に従うようになってしまった。
かつてガリレオが地動説を唱えたとき、教会は彼を裁判にかけ、考えを改め謝罪せよ、と要求した。これを拒めば命すら危険だった。心から神を信じ、愛しているはずの司祭たちが、ガリレオを前に
「謝れよ、コノヤロー、牢にぶち込むぞテメェ」なんてヤンキーまがいの行為に及んだのだ。
司祭たちが、教会の教義ではなく真理に心を開いていれば、このような恥知らずな行為は行わなかっただろう。
日本の仏教の開祖たちは、それぞれ個性的で、魅力的な人たちだ。
ところが日蓮は「真理を知るのは私ただ一人。それ以外はすべて邪教」と切り捨てた。
しかし、彼の教えが正しいかどうかは他との比較によって明らかになるはず。しかし、創○学会をはじめとする日蓮宗系の団体では、他宗派の教えを学ぶことはできない。これでは、魂の成長は確実に遅くなってしまう。
真理を知るために信仰の世界に入ったと言うのに、結果として真理から最も離れてしまうと言うのは皮肉な話ではないか?
日蓮がどれほど優秀な人であったとしても、仏が日蓮ただ一人に世界のすべてを背負わせるはずはない。仏はそこまで無謀ではないし、争いの火種をばら撒くようなアホであるはずもない。
この点に関して、ワシが敬愛するダライ・ラマ14世はこんなことを言っている。
「幸せになれる力はすべての人間が生まれながらに持っています。これは仏教を信じているかどうかとは関係がありません。幸せは、信仰を持っていようが、無宗教であろうが関係なく、すべての人が持っている権利なのです」
チベット仏教の最高指導者が「仏教を信じなくていい」というのは衝撃発言だが、これは正しい考え方だと思う。
彼が従うのは真理であって、チベット仏教教団ではないのだろう。
もし、「この宗派だけが正しい」とか「この教団に入れば絶対に幸せになれる」などという団体があれば、それは確実にインチキである。
彼らは無宗教の人間や、他宗派の人が、幸せな一生を送り、偉大な業績を成し遂げていることをどのように説明するつもりだろうか?その「唯一正しい宗教」を信じなかったのに?
何度も言うが、神仏はある特定の宗派に肩入れはしない。
すべての人間に対して平等に、法則をもって接する。
もしあなたが、特定の教祖や宗教に心酔して、それ以外の意見を聞かなくなったとしたら、あなたの魂は死んだも同然だ。成長が止まり、他者を害するだけの存在。そして神は、その「カルマ」に従って、その人を正確に不幸にしてくれる。そこには情状酌量も、ひいきも、不正もない。美しいまでの平等がそこにはある。

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