疑問に思うこと

人間の最終目標は「幸福」だ。
たぶん、それは間違っていないはず。悟りってのは究極の幸福らしいから、偉そうな顔して説教する宗教家だって「幸福」が最終目標なわけだ。
ところがそれに気がついていない人が多いように思える。
嫌いな仕事を毎日、愚痴を言いながら続けている人がたくさんいるのだ。
仕事は人生のもっとも長い時間を費やすもの。仕事が好きなら人生は極楽だが、仕事が嫌いなら人生は地獄だ。
なのに、自分から進んで地獄の住人になっている人の多いこと多いこと。

「苦労することに価値がある」と思っている人もいる。
正しい場合もある。
例えば、医者になり人々を救いたいと願っている人なら、大学での勉強や、研修医としての日々の苦労には意味がある。苦労であるけど、自分がどんどん成長していくことに喜びもあるだろう。
だが、何の具体的目標もなく、ただ生きるためのわずかなお金を得るために、悪魔に魂を売っちゃった人のごとく生きている人の苦労には価値はない。
そういう人たちは文句を言いながら、どんなに仕事が辛くてもやめようとはしない。
生活の保証がない状態や、未知の分野に飛び込む恐怖よりは、不満足ながら安定した毎日のほうが価値があると思っているのだろう。気づいたときには自分には何もない。
不満を溜めながら生きていたがため、信頼できる人間関係も築けない。自分のそばには誰もいない。夢もない。
ただ老後のために貯金を増やすだけの日々。
正直にひとこと言えばよかったのだ。
こんな生活はもう嫌だ!と。

占星学をやっているとつくづく思うが、どんな人の人生にもチャンスとピンチは平等に訪れる。
天体の運行速度は誰にとっても一定である。トランジット(実際の天体)とネイタル(出生時の天体)が特別な角度を取るとき、「現象」が起きる。ピンチとチャンスだ。
ある人はそれを掴み、ある人はそれをただ見送る。
本当は自分にもチャンスは来ていたのに、掴めなかった人はこう言い訳する。「自分には運がなかった」。
そして、自分が不運だったことを証明してもらうために、霊能者や占い師にすがる。
こう言って欲しいのだ。「あなたは悪くない。運命が悪い」

しかし、どうやら神は人間を操り人形ではなく、自由意思によって人生を選択する権利を与えていたらしい。
あなたが今、あなたである責任はあなた自身にある。
不運のせいではない。

仕事の愚痴を聞かされたとき、ワシはその人に「嫌な仕事ならやめれば?」と言った。するとその人は烈火のごとく怒り、ワシを罵倒した。それ以来会っていないが、彼は今、幸せにやっているだろうか・・・・。
また別に日に、ワシはある女性から「仕事が辛い」と聞かされた。ワシは同じように「嫌な仕事ならやめれば?」と言った。すると彼女はまもなく仕事をやめ、職業訓練の学校に通い始めた。ワシの嫁である。
彼女は今、幸せだろうか?後で聞いてみよう。
「不幸です」と言われたらワシの立場がなくなるわけだが(笑)。

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック