人の価値ってのは、イザというとき、どんな行動をするかによって分かる。何を語るかではなく、何をするか。 自分の言葉の正しさは、自分の行動によって証明しなくてはならない。 私は20年以上にわたって「精神世界」という分野に関わっているので、この世界でリーダーのように目されている山川紘矢・亜希子夫妻が、この局面でどのような行動を取り、この災害をどのように説明するかに非常に興味があった。 この夫婦、今ではすっかり頭がおかしくなって、「日本は中国に一生謝り続けなくてはならない」だの「天使が見えます」だのと病的なことしか言わなくなってしまったが、これでも日本に精神世界ブームを巻き起こした実績のある二人である。 地震発生当日からの彼らのメールマガジンを読んでみた。 地震の翌日、普通に京都の講演会に出席している。 その講演で 「今、無事でいる私たちがすべきことは、心を平和に保ち、すべてに感謝し、災害の中にいる方たちに愛と光を送ること」 と語っている。 愛と光ってなんでしょうね?人がバタバタ死んでいる状況で、そんな抽象的なものなんかいりませんよ。被災者の私たちが求めていたのは、通信手段、水、食料、電気、ガス、救助隊です。脳内からテレパシーで送られてくる「愛と光」などという得体の知れないものなんていりません。まぁ、舌先で生きてる人たちですから、その程度の発言は許しましょう。毒にも薬にもならないですけど。 ただ許せないのは次の発言。山川亜希子夫人が、この講演会で 「今起こっていることの本当の意味とは、ワンネスを学び、愛、やさしさ、分かち合う心、感謝など、私たちが持っている素晴らしい資質を思い出す、と言うことなのです。」 と語ったこと。 いかにも安全地帯にいる連中の言いそうなことですな。私も身内を失ったり、生まれ故郷を破壊されていなければ信じたかもしれません。この災害の意味は「学び」ですか?この災害で死んだ2万8千人(実際は3万人以上だと思われる)は、その学びのための生贄でしょうか? 犠牲者の中には赤ん坊もいました。幼い子供も。生き残った人間にとっての意味が「学び」なら、死んだ人たちにとっての「意味」は何なのでしょうか?泥だらけで顔も判別できなくなった遺体を見ても「ワンネスを学び〜」などというセリフを吐けるでしょうか? その後も、沖縄で観光したり、「福島原発に光を送る」だとのいう奇妙な儀式以外は何もしていないようです。 メルマガには 「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛していますと、ホ・オポノポノの言葉を福島原発に向けて送っています。私たちは皆ひとつの存在だから。彼らは私たちの病んでいる部分そのものなのだから。」 という、理解不能な持論を展開しております。原発に向かって「愛しています」とか、ワケワカラン。知名度が高い上に、講演会などで人を集めているんだから募金活動でもすればいいのに、その気はないようです。 結局何もしないまま、ロサンゼルスへ。長期滞在だそうな。 精神世界のリーダー格のわりに、「神はなぜ、このような悲劇を人にお与えになるのか?」という根本的な問いに答えていません。現実逃避したい人たちにデタラメを吹き込んで一時の気休めを与える以外に、「スピリチュアル」に価値はないのではないでしょうか?少なくとも山川夫妻が語るようなスピリチュアルでは、この難局は乗り切れません。 多くの死を目の当たりにしても、それでも揺るがない信念をもった思想家を、私たち被災者は求めています。 |
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