霊性と情熱のあいだぐらい

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zoom RSS 運命は救いとなるか?

<<   作成日時 : 2009/02/07 17:43   >>

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運命があるのかないのかは証明できない。占いなどで予測を立て、結果がそのとおりになったとしたら「たぶん運命はあるのだろう」と言うのがせいぜいだ。
もちろん、それにしたって占いなんかしなければ、それは起こらなかったかもしれない。「あなたは彼と別れることになるでしょう」と言われたら冷静ではいられまい。それを気にするあまり、行動が不自然になって、彼との間に本当に亀裂が生じたとしたら、それは運命だったと言えるのだろうか?

事故にあって体が不自由になった人は繰り返し考えるだろう。
「もしあの日、あそこに行かなければ・・・・」
交通事故なんてのは、一秒ずれていただけで起こらなかったものがほとんどだ。たった一秒ずれていれば、車は自分にぶつからずに通り過ぎていただろう。たった一秒、道路に飛び出すのが早かっただけで、一生足が不自由になったり、手が使えなくなったりする。
一秒ずれる原因なんて無限に存在する。その日の朝飯とか、気分とか、出かける前のくしゃみだって事故を回避するには充分だ。
なのに、事故は起こってしまった。
被害者と加害者にとって「それは運命だった」という言葉は救いとなるだろうか?
実際のところ、事故が起こりやすい日は占星術でも割り出すことができる。そして、多くの事故が、その人にとって危険な日に起きていることは確かなのだ。
気の遠くなるような数の偶然の積み重ねによって、被害者と加害者は、その時、その場所で出会う。
そして事故は起き、被害者は苦痛と不自由、加害者は社会的制裁と良心の呵責に苦しむ。
ホロスコープ上に「危険」が示されていたとすると、それらの膨大な数の偶然の一つ一つも、すべて仕組まれていたものなのだろうか?

もし自分が生まれる前に自分のことについて書かれた予言書があったとして、人生のある時期に、それを読む機会が与えられたとしたら、それにはキチンと事故のことについても書かれているだろう。
その時、救いを感じるだろうか?それとも怒りだろうか?
「ああ、あれにはちゃんと意味があったんだな」と思うか、それとも「こんな理不尽な運命には耐えられない」と思うか。
インドには古代の聖者によって記された個人のための予言が存在する。
「アガスティアの葉」がそれだ。
一時期、日本でブームになったため、詐欺が横行し、ネット上での評判は「インチキだった」が大勢だが、占星学を学んだワシには「どこかに本物があるかも」と思えてならない。

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内 容 ニックネーム/日時
本物は あります!南インドのチェンナイです! 葉っぱを開け5000年前から自分の運命があるのに驚きました! 行った人の80%はあるらしいです。 偽物も 似たものもあるみたいです。 
1度目は東京にある旅行会社<パラダイスツアー>で行きました 
パールバティ
2009/08/24 03:20

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