霊性と情熱のあいだぐらい

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zoom RSS 私を愛して欲しい・・・

<<   作成日時 : 2008/12/26 10:33   >>

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前回の続きです。
飯島さんは、1989年付けて、次のような詩を書いている。
「だれか、私のために涙を流せる男の人はいないですか。みんな遊びで終わっていく。愛してくれているのは、そのときだけ。すごく寂しいよね。でもこの人なら、それでもいいって思える人、どこかにいませんか。」
厳しいことを言うようなだが「愛してくれるのはそのときだけ」は彼女の勘違いに過ぎない。ナンパ男に愛などない。
「そのときだけ」ではなく、「最初から、体以外に興味はなかった」というのが真実だろう。
しかし、これについては、彼女自身に責任がある。
彼女は、夜の街を露出度の高い服装でうろついて、「金を持ってそうな男」や「顔のいい男」、あるいはその両方を持っている男をターゲットに誘惑していた。

当時のことを彼女はこう書いている。
「私は、知人が多いことや男関係が多いことが自慢だった。だれが後ろ指を差そうとも楽しくてしようがなくて、自分の体を大切にするとか、親に対して申しわけないとか、彼氏に対して後ろめたいなどという、殊勝な気持ちは一切失われた。」

飯島さんは、本当の意味で相手のことを愛してはいない。なのに、自分は愛が欲しいという。
なんとなくだが、彼女の暴走は親に対する復讐のような気がする。まるで自分を傷つけることによって親を罰しているようだ。
飯島さんの両親は教育に厳しい人で、一般的な道徳心を彼女に押し付けたという。たくさんの伝記を読ませ、彼女にも立派な人間になるように強制したのだとか。
それに反発して、社会的に不道徳とされることをあえて実行しただけのようにも見える。

さて、ここからが本題だが、「金で体を売ること」は是か非か?
道徳とか、法律ではなく、「天の法則」として、それは許されることなのかどうかを考えてみたい。

売春は「女性最古の職業」と言われるように、その歴史は長い。
しかし、どの時代においても、賤業として差別されてきた。唯一の例外は、「神への捧げもの」として、神官と交わる「神殿娼婦」だけが高い評価を得ていた。
ただし、差別されることは娼婦たちにとってはプラスの面があった。差別されているからこそ、あえて娼婦の道を選んだ女性に高い報酬が支払われることとなった。
つまり、今でもAV嬢が高いギャラを得ているのは、彼女たちが人から唾を吐かれる存在だからこそ、と言うこともできる。
ただし、最近では援助交際などといって、ちょっとしたおこずかい稼ぎで売春をする女性もいる。
彼女たちは、馬鹿な男をたぶらかして、お金を掠め取っているつもりになっているだろうが、彼女たちは男の本心を知らない。
男は本能的に売春婦を嫌う。嫌うと言うような軽いものではなく、軽蔑し、憎んでいる。
それでも性欲に逆らえないのが男の悲しいところではあるが、売春婦を抱きながら、男たちは相手に唾を吐きたいほどの嫌悪感を感じている。
それは、男性が、「自分以外の男の子供を生む可能性のある女性」を受け入れない本能があるからだ。
女性は一度に、一人の男の子供しか生むことが出来ない。よって、男性は自分がセックスしたのと同時期に、自分以外の男とセックスする可能性の高い女性を嫌う。少なくとも絶対に結婚しようとは思わない。
そして、それを見分ける能力は、生活力の高い男性ほど高い。
男性は勘が鈍いと思われがちだが、「確実に自分の遺伝子を後世に残す」ことは、男にとって生まれた来た目的のひとつである。だからこそ、男性は、「女性の貞淑さ」を見分ける能力に特化している。
一度でも「恥を売った」ことのある女性は、魂にカルマとして刻まれ「独特のニオイ」を残すのだという。
そして、能力の高い男性はそれを見抜く。
AV出身の女性たちが、ヒモのようなダメ男とばかり付き合っている例が多いのは偶然ではない。

「過去にどんなことがあっても受け入れる度量はないの?」と男が責められそうだが、これは度量の問題ではない。
男にとっては人生のテーマにかかわる重要な問題であるからこそ、譲れないし、本能がそれを許さない。
「買う男が悪い」・・・・それは正しい。
ワシは風俗には行かないので、ワシを責められても困るのだが(笑)。

かつて桃井望という人気AV嬢がいたが、彼氏と二人、炎上した車の中から遺体で発見されるという事件があった。
彼女の遺体には無数の刺し傷があったが、「無理心中」ということで処理された。
状況から考えて心中に見せかけた他殺の可能性も充分にあったが、警察はロクに調べもせずに捜査は終了した。
これが普通のOLだったらどうだったろう?警察の中に「売春婦がどう死のうと関係ない」という思いはなかったのだろうか?

次は健康面の問題だ。
快楽を感じるのはA10神経という部分。
このA10神経は、刺激を与えられ続けると、同じ刺激ではドーパミンを分泌しなくなる。
つまり、過剰なセックスは神経を麻痺させてしまうのだ。
飯島さんは中2の頃から、彼とセックスしまくっていたと書いている。「一日11回」というのが最高記録だそうだが・・・ここまで来ると過剰というより異常である。
初期においては「開発され」、するたびに快楽は増すであろうが、ここまで異常だと、いつかA10神経が麻痺するときが来る。
「何も感じない」・・・・快楽に人生をかけていた(逃げていた)人にとって、快楽の喪失は人生の意味を見失わせる。

続きは次回に。

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