霊性と情熱のあいだぐらい

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zoom RSS 些細なことから

<<   作成日時 : 2008/07/30 11:15   >>

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「親に嫌がらせがしたかった」「誰でもよかった」「誰かを道連れにしたかった」・・・・・などというバカバカしい理由で無差別殺傷事件を起こす輩が増えている。あまりにも多いため、事件を聞くこちらもそれほど驚かなくなってしまった。
「親とケンカした」「親に仕事を探せと注意された」などが事件の引き金になったものが多い。
33歳で無職なら「仕事を探せ」と言われるのは当たり前だ。それを恨みに思う脳ミソが腐ってる。
それにしても人生を棒にふるような事件を起こすにはあまりにも些細な動機ではないか?と普通は思うだろう。
「親への嫌がらせ」と「殺人事件」を天秤にかけて、つり合うわけがない。
しかし犯人達にはこれが分からない。いや、分かっているのだろうが、自分を止められない。そこにはやはり「もう一人の自分」というものが関わっている。
どんな些細なできごとでも、常にそれに対して注意を向けている、あるいは気にしていると、潜在意識は「これはこの人にとって非常に重要な出来事なのだ」と解釈します。もう一人の自分である潜在意識には、道徳観もなければ、一般常識もない。ただその人が多くの心のエネルギーを注いだものを「重大だ」と判断します。
そして、「嫌がらせをしたい」という願いを叶えるために、最も効果的な方法を考え、その人がそれを実行するように強制してきます。確かに親を最悪の気分にさせることはできた。しかし、本人も破滅したし、巻き添えを食って亡くなった被害者たちのことを、潜在意識は一切考慮に入れていない。
通り魔事件を起こした連中の写真を見ると、みんな気が小さく、オドオドしたタイプに見えます。同級生の証言でも「目立たなくて影の薄いタイプだった」というのが多い。些細なことを何度も何度も頭の中で思い返して「あいつのせいだ!」と考えるような連中だったのでしょう。
別に内向的なことが悪いわけでない。内向的な人間は、じっくりとモノを考えることが得意であるので、それが芸術とか先端技術とかに生かせれば、外交的な人間には想いもつかないような領域にまで登ることができるはず。
ところが、通り魔のアホタレどもは、自分が天から与えられた才能を「他人を憎む」という、最も醜悪なことに使っているのです。

誰かを憎んでいる人間は危険です。
特にそれを常に話したり、書いたりしている人間は事件を起こす可能性があります。
もちろん、本人達は、意識の段階では「そんなバカなことをするはずがない」と思っているでしょうが、繰り返し憎しみの感情を思い起こしているうちに、「もう一人の自分」である潜在意識がその願いを実現させようと動き出します。もうそうなると、通常の意識で止めることは不可能です。もう止められないんですよ、自分では。
秋葉原の通り魔事件の犯人は「誰かが止めてくれればよかったのに」と話しているらしい。自分勝手な言い分で腹が立つが、あれは本音なのだろう。世間や親に対する憎しみをぶつけようと動き出した潜在意識は、すでに身体を支配していた。表層意識に僅かに残っている良心では止められないほどの強制力で。誰かに止めてほしい、誰かに止めてほしい。
でも、同情する気はない。凶悪な「もう一人の自分」を長年かけて育ててきたのは彼自身の責任なのだから。

幸せになるためには憎しみを捨てなければならない。
嫌ってもいいんです。ワシも嫌いな奴は一杯います。でも、「憎む」という行為は危険なんです。
いつか抑えきれないほど巨大化した憎しみが、あなた自身を破滅させます。
ワシはキリスト教徒ではないので「汝の敵を愛せよ」なんて言いません。嫌いな奴とはなるべく付き合わないようにすればいい。根性の捻じ曲がった陰険な奴らを愛せるわけがない(笑)。別に悪い人ではないんだが「馬が合わない」ってタイプもいる。でも、「仕返ししよう」なんて憎しみの感情は捨てましょう。仕返しってのは高く付くのだから・・・。

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